ウイルス作成罪は「不正」で全て決まる?

不正指令電磁的記録作成等の罪、通称ウイルス作成罪、あれって要するに「不正」かどうかで全て決まっちゃわないのかな?

参考記事

  1. 高木浩光@自宅の日記 - 不正指令電磁的記録作成罪 私はこう考える
  2. 高木浩光@自宅の日記 - このまま進むと訪れる未来 岡崎図書館事件(15)
  3. 高木浩光@自宅の日記 - ウイルス作成罪創設に向けて国民に迫られる選択

プログラムが不正指令電磁的記録かどうか(第1号の当否)

まず、「人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせる」に該当するかという点。

市販されるような高機能・多機能プログラムでは、記事1で引用されているイルカや自動アップデートの例にあるように、一般的な利用者が認識しきれていない機能は該当するのだという。説明書の記載などで使用者が認識し得るようになっていればよいともされるが、記事2の想定について記事3で「物語に出てくる「何の説明もなくハードディスクを消去するプログラム」は、「客観的な規範に基づく一般論としての使用者の意図」からしても、意図に反する動作とみなされる余地はあるように思う。」とあるように、フリーソフトであって使用者の自己責任だからと、プログラムの説明や注意が不十分だったりすると、やっぱり該当してしまう。

となれば、現状では多くのプログラムがこの部分には該当してしまうので、この部分で罪の対象から外れることは、あまり期待できそうにない。

そして、「不正な指令」に該当するかという点。

記事1の引用によれば、要するに、社会的に許容されれば「不正」ではない、とされる。自動アップデートは許容されるから不正ではなく、機器を動作不能にさせるのは許容されないから不正である、と。

「意図に反する」の部分が当てにならないから、結局この「不正」の当否で「不正指令電磁的記録」の当否が決まってしまわないだろうか。

機器自体や、機器で扱われている、財産、名誉、プライバシー、業務の遂行、業務の秘密、そんな色々なものの損害に対して、「不正」の一語の当否で、プログラムの善悪が決まってしまわないだろうか。

不正指令電磁的記録を供する目的かどうか(目的犯規定の当否)

記事3でいう(B)解釈が正しいということのようだし、(A)解釈では、およそほとんどのプログラム作成行為が該当するってことで話が終わるので、(B)解釈で進めるとする。プログラムが客観的に「意図に反する」「不正な指令」だと認定されるだけでなく、プログラムの作成者等の主観でも、「意図に反する」「不正な指令」となるものを供する目的が必要なのだと。

まず、この場合の「意図に反する」も、やっぱり罪の対象から外れることは期待できないのではないだろうか。

先の例のイルカや自動アップデートにおいては、作成者の目的としても、使用者が意図しなくても動作するように自動的な機能としているわけだし、説明不足なフリーソフトにおいては、記事2の想定でも「フリーソフトの配布というのはそういうもの」とあるように、一般的に「意図に反する」こともあるんだと多少なりとも認識している。(「利用者はちゃんと説明を読んで使ってくれると考えますよ、普通。」ともあるけど、まあ、説明・注意が不十分で、それを作成者も自覚している場合、ということで。)

そして、やっぱり結局は「不正な指令」であるかが問われる。

記事2の想定では、目的犯規定の解釈が命運を分けたという筋書きなので、プログラムは客観的には「不正指令電磁的記録」であるという点は確定しているのだとする。でも作成者の主観である目的としては、セキュリティのための正当なプログラムであって、「不正」ではないのだと。

記事3では「このときの「不正指令電磁的記録」該当性は、行為者の主観によって定まるのではなく、上記の「客観的な規範に基づく一般論としての使用者の意図」を基に定まる「不正指令電磁的記録」なるものであり、それを行為者の主観において意図しているか否かが問われる。」と言うけども、では客観的に「不正」とされたものに対して、作成者等の主観によって救われるにはどうすればいいのだろう。客観的には「不正」とされているということを知らなければいいのだろうか。

別の例として、客観的には「不正」であるとされていても、作成者等の主観としては、著作権侵害の暴露は正当だと確信している、児童ポルノ集配の暴露は正当だと確信している、政府の不正の暴露は正当だと確信している、核施設の破壊は正当だと確信している、ワームを止めるためのワームは正当だと確信している、といったような場合はどうなのだろうか。

客観的には「意図に反する」「不正」なデータ削除プログラムだけども、主観的には「意図に反する」ことはあるかもしれないとしても正当であるつもりのデータ削除プログラムと、客観的には「意図に反する」「不正」なデータ暴露プログラムだけども、主観的には「意図に反する」ことは間違いないとしても正当であるつもりのデータ暴露プログラム。この2つが法律上でどのような違いとなるのかがわからない。

むすび

よくわからないんだな。